古代から医学者は植物学を研究していた

古代の医学者は、花の力は、人間にとって必要だと知っていた。

ギリシャの医師ヒポクラテスは200種類の薬草を医療へ活用

 ハーブの歴史は古く、紀元前の古代エジプト時代にまでさかのぼります。古代エジプト時代には、すでに医療用の薬草として利用されており、ミイラの防腐剤として使用していたという記録が残っています。

その後、古代ギリシャでは、医学の父と呼ばれるヒポクラテスが、ハーブを利用してたくさんの人々の病気やけがを治療してきたといわれています。ヒポクラテスは、400種類ものハーブの薬効と、病気やけがの症状に対するハーブの処方箋を書き残しています。

そして、ハーブは古代ローマ帝国へ伝えられ、国の侵攻により戦地で戦った兵士の傷や病気を治療する薬としてヨーロッパ全土へ広まりました。

中世ヨーロッパでは、王侯貴族たちの嗜好品としてハーブティーが日常的に飲まれるようになりました。

時代を重ね、ハーブはアメリカやアジアへと伝わり、世界各地に広く伝わっていきました。

植物の父と呼ばれたテオプラストス

 テオプラストスは、特に植物学の業績で知られる。彼の植物研究は、基本的にはアリストテレスの動物学研究と同じく、観察された事実の積み重ねに基づいて原因を探究するものであるが、師の動物学の概念を類比によって植物の世界に適用する道を選んでおらず、独自性が見られる。植物の世界における様々な違いを詳細に観察し、新しい概念を作り出していった

植物を喬木または樹木、低木、亜低木、草に4分類し、植物に関する多くの重要な概念を作り、自分の考えを表す言葉がなかったため、多くの専門用語を作った。また、系統樹あるいは樹形図と似た体系的な配列を取り入れ、植物を族、科、属というグループに分ける方向性を示し、今日まで通用する分類法の基礎となるやり方を確立した。植物の発生から死までの過程、繁殖の形態、環境への反応を考慮し、種類の違う植物の中に特定の特徴の有無を観察し、それをもとに記録した先駆的な業績によって、「植物学の祖」と呼ばれている。テオプラストスは、当時の植物学に体系的な研究法を導入したのである。

彼の著作『植物誌』は、植物を体系的に論じた書で、欠落もなくほぼ完全な形で現在まで伝わっている。『植物原因論』と共に植物学の発達に大きな影響を与え、古代からルネサンスまで植物学の最重要文献であった。『植物誌』は、歴史上植物学に関する最初の研究書であり、当時の最高水準の観察記録である500余種の記載を残した点で時代を超えた価値をもっている。さらに、農学、林学、薬学の応用科学書、実用書でもあり、同時にフィールドワークの重要性をも今日に伝えている

『植物誌』は全9巻となっているが、最終巻には俗信が多く含まれ、彼の死後に書かかれた偽作ともいわれ、真偽が研究されてきた。テオプラストスと共に西洋の植物学・薬草学に影響の大きかった書籍に、古代ローマの医師ディオスコリデス(40年頃 - 90年)の『薬物誌』がある。ディオスコリデスは彼以前の植物学・薬草学研究も参考にして『薬物誌』を著したが、『植物誌』についてほとんど言及されておらず、不思議なことに知らなかったのではないかともいわれている。

古代ギリシアのヒポクラテス

四体液説(よんたいえきせつ)は、古代ギリシアのヒポクラテスが人間の身体の構成要素として四種類の体液を挙げ、この体液のバランスによって健康状態などが決まるとする説。
人体が血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁から成るとする説で、それらは古代の四大元素によって定義付けられ、かつ四季とも対応関係を持つとされた。

古代ギリシアの人々は、世界が、土・空気・火・水の4元素から成り立っていると考えた。これら4つの元素はそれぞれ4つの基本的物性、4つの体液、4つの気質に結び付けられ、人は誰でもトレカ一つの体液に支配され、それによって人格やかかりやすい病気が決まると考えられていた。

ローマ時代になると、マルクス・アウレリウス皇帝の侍医だったクラウディウス・ガレノスが、ヒポクラテスの学説を発掘し、体液説にまとめ上げた。その著書はローマだけでなく、アラブ世界や中世のヨーロッパにも、広く医家の必読書として伝えられた。

アラブの医師アビケンナは、アロマセラピーの蒸留を始める

西欧の錬金術は、イスラムを経由してもたらされた。
 そして、パラケルススの例を見ても分かる通り、錬金術と医学は重なるものである。
 このアヴィケンナも、医者であると同時に錬金術師でもあった。
 
 イラン系イスラム教徒である彼の名は、イブン・シーナー。
 980年に生を受ける。彼の父親はイスマイリ派に属する熱心な信徒で、非常に教育熱心な男だった。アヴィケンナは幼いうちから一種の英才教育を受ける。彼は10歳にしてコーランを暗記し、理解した。さらに、ワインを飲むという悪癖を伴いながらも、数学、イスラム法学、アリストテレス、ガレノス、錬金術を学び、医者の道を志す。
 そしてスルタンの病を治し、国の図書館の出入りを許された。18歳のときのことである。
 やがて父が死ぬと、彼は法律家となり、あちこちの都市を巡回する。
 それと同時に「医師」と「詩人」の顔を持ち、やがて医師としての比重が増えて行く。
 そして、凄まじいまでの著述活動を始める。彼の著書は、主に医学だが、錬金術、イスラム神学、政治学、軍事学、教育学、詩集におよび、その数は242に及ぶという。
 だが、彼の著書は、1030年にガズニー朝のスルタンによって略奪される。これはそのまま散逸し、失われてしまった。
 1037年、彼は従軍医師として軍と共に遠征中、病に倒れた。そして、自分を診察し、「治療不可能」として全ての治療を中止させ、死去した。

 彼の書いた医学書、錬金術書は、十字軍によってヨーロッパに持ち込まれ、ラテン語に翻訳された。
 特に「医学規範」や「医学の歌」は、ガレノスやヒポクラテスの著書と並んで長らく医者の教科書とされた。

 彼の医学は、現代の基準から見れば、たしかに過去の学問でしかない。しかし、かなり先見の明があったのも事実である。例えば、彼は早くもストレスから来る病の存在を知り、カウンセリングを行っていたし、プラシーボ効果のことも知っていたようである。

ウィリアム・ターナー

イギリスのメディカル・ハーブ事典(本草書)出版ブームの先駆けになった、

ウィリアム・ターナー(William Turner)(1508 – 1568)は、イギリスのすぐれた医者、博物学者で、プロテスタントの牧師でもありました。初期のハーバリストの一人で、鳥類学者でもあります。動物学・植物学で有名なスイスの博物学

コンラート・ゲスナーの友人だったそうです。

ターナーはハーブの本を3冊書いており、1545年に『The Rescuynge of the Romishe Fox』、1548年に『The Names of Herbes』、1551年に『A New Herball(ニュー・ハーバル / 新本草書)』が出版されました。

メディカル・ハーブやアロマテラピーの世界では、『A New Herball』の作者として知られており、この本はターナーのハーブ研究の総決算に当たり、エリザベス一世に捧げられました。

『A New Herball』は、精緻な植物の木版画の図版が添えられおり、238種のイギリスの植物について知ることができます。ターナーは、イギリス人として初めて植物の科学的研究を行い、「イギリス植物学の父」と言われています。

ターナーはハーブを、「乾性・熱性・湿性・冷性」の度合いによって分類しました。これ現代人から見ると変な感じがしますし、中国の陰陽思想かと思うかもしれませんが、西洋の伝統医療の世界では、めずらしくない考え方でした。東アジアやインドに伝統医療があるように、西洋にも近代医療とは違う伝統医療があったのです。

 

ギリシャのヒポクラテスにはじまり、ガレノスがまとめ、そしてイスラム世界で花開き、ヨーロッパに輸入されました。「西洋」において、文化の中心は長い間イスラム世界であり、「西洋文化圏」といえばイスラム世界とその周辺のことでした。現在ではイスラム圏の「ユナニ医学」に残る西洋伝統医療は、「乾・熱・湿・冷」の四大性質、「風・水・火・土」の四元素、「多血質、粘液質、黄胆汁質、黒胆汁型」の四つの体質をベースに理論が組み立てられています

医学博士ジャン・バルネ

医学博士ジャン・バルネは、薬用植物を治療に使うことにずっと関心を寄せてきましたが、ガットフォセの著書に示唆されてのことでしょうが、治療にエッセンス類を使用しはじめました。

バルネ博士は、第二次世界大戦にて従軍医師として芳香植物を治療として用いたところ顕著な効果をあげたため、ガットフォセと同じようにこれが巨大な可能性を秘めた療法だと気が付きました。

それ以来、バルネ博士は多くの症状の治療にエッセンスを使っています。博士は数多くの論文を発表し、さらに1968年に、はじめて著書『芳香療法(アロマテラピー)』を出しました。

現在、芳香療法がはっきりした資格のある療法として世に認められているのは、まったくといってよいほどバルネのこの著作のおかげです。

イタリアも、芳香療法の分野で注目すべき人々を何人か生んでいます。1920年代と1930年代とにそれぞれ研究を行ったガッティー博士とカヨラ博士の名前は、特に言及に値します。両博士の業績は、製油の薬としての特性、心理面への特性からそれらをスキンケアに使う方法にも及ぶものです。

また、ミラノの植物誘導体研究所所長のパオロ・ロベスティーは、近年、芳香療法の価値の高い多くの貢献を行っています。

ロベスティーの業績の大半は、イタリア固有のかんきつ類、ベルガモット・レモン・オレンジの各精油ならびにそれぞれの脱テルペン体に関するものです

エドワードバッチは花の波動を朝露に移し医療に活用した

例えば、花の波動が人に多大な影響を与えると気づいた英国の医師で細菌学者でもあった エドワードバッチ博士 は、花のエネルギーが否

定的な感情や精神に働きかけ、肯定的な感情へおきかえていくことを発見し、1936年にバッチフラワーレメディを完成させました。

 バッチフラワーレメディの主体は花のエネルギーが転写された水です。簡単にいうと、花のエネルギーの瓶詰 です。

花のエネルギーは、現在の科学ではまだ説明がつきません 。でも実際ときあかせない波動があるのです。

バッチ博士は、朝露に波動を移し、人に投与して病気を治しましたが、フラワーセラピーは、花そのものを使って、心と脳に働きかけます。

世界中で注目を集める「フラワーセラピー」の癒し

花の持つ癒しのエネルギーやパワーにアクセスし花の恩恵を受け取ることができる「フラワーセラピー」
フラワーセラピーは、花々固有の外観、香り、エッセンス、色、そしてその植物の本質をなす波動をところなく用いて、花々からの恵みを受け取る手法です。
フラワーセラピーの癒しは、花の恵みを心と脳に多大なる影響をもたらしてくれます。

お花に囲まれているだけでそれまでのもやもやした感情がいつの間にかすっきりしたり、身体の疲れが癒されて元気になるなど、デスクに花を置くと能率が上がったりする実験結果があります。お花の波動は驚くほど高いのです。
太陽のエネルギーとアース(地球)のエネルギーを共にもつ花は、より素晴らしい力をもっています。